ぺいちゃんねる'17

続いてはこちらの曲。

2016年、今年黒柳徹子を好きになった話。

おかしな話ではあるが、ぼくが黒柳徹子をはじめて”同じ人間だ”と認識したのは、おそらく今年の春にNHKドラマ「トットてれび」を観てからだと思う。

それまでぼくは彼女を”浮世離れしたおかしなタレント”としか見ていなかったような気がする。数々の名番組の司会を担当していたこと、ユニセフ親善大使であること、パンダ好きであること、窓際のトットちゃんというベストセラーがあること……そういうことは知っていたが、どれも身近なものではなかった。何しろ活動期間が長すぎて、ほとんどがぼくが生まれる前のことだから。

バラエティなどで芸人に語られる変人エピソードこそが、ぼくの中の黒柳徹子像とニアイコールだった。

そんなぼくが「トットてれび」を観た。
そのドラマのなかで、満島ひかりが演じる黒柳徹子(きちんとエッセイなどから人物像がつくられている)はぼくと同じ人間だった。
付け足しておくと、彼女はちょっと風変わりで、ひとから好かれる才能のある・人間だ。

ぼくからするとおばあちゃんより年上の黒柳徹子が経験してきた困難、楽しい人間関係、友人の死と悲しみ、そしてテレビがはじまってからこれまで築き上げたものに触れて、はじめて彼女のことを”好きだ”と思った。魅了されたのである。

そして先日図書館で「窓際のトットちゃん」をみつけ、はじめて読み始めた。1984年初版のこのベスト・セラー本を、恥ずかしながらこれまで読んだことがなかった。教科書にも載ってなかったし、きっかけがなかった。黒柳徹子自身に興味もなかったら、自分から手を出すこともなかった。

読みやすいやさしい文章は疲れた日でも楽しく読み進められた。
トモエ学園に集まったひとたちと過ごす日常を読んで、自分の小学生だった時代に思いをはせることもあった。
こんな風に楽しく過ごせてなかったな、こんな考え方ができたらもっと自分を変えられたかな、そう思うと当時この本を読めなかったことが不幸だと感じてしまう。

そういえば「赤毛のアン」を読んだときも同じことを考えた。
トットちゃんとアン・シャーリーはよく似ている。
まわりからはたまに誤解されるけど、良い子だ。陽気で嫌味がない。
戦争から遠くない世界に生きているのも同じ。

でもトットちゃんはノンフィクションだからもっとすごいのかも。

きっと20代のひとたちは、ぼくと同じように黒柳徹子が何者かを知らずにただ認識している。そんなひとたちに「トットてれび」と「窓際のトットちゃん」をぜひみてほしいと思う。

黒柳徹子の83年の物語はまるで教科書に載ってる”歴史”みたいなもので、とてもドラマチックだから。そして、いまも生きているから。

彼女のことを好きになると、ひとにちょっとだけ優しくなれる気がする。
それは自分が幸せな気分になれる感じと似ている、と思う。