ぺいちゃんねる硬水編

続いてはこちらの曲。

PIZZICATO ONE「わたくしの二十世紀」とわたくしの叔母のこと。

まず叔母の話をしたい。
叔母はむかし都会に住んでいた。ぼくが、そうだな、中学3年くらいの頃まで。つまり10年前だ。

地元に戻って来たきっかけは、おそらく祖父が亡くなって祖母がひとりになったからだと思う。
そのあともしばらく都会で仕事を続けていたが、3年ほど経った頃、祖母とふたり暮らしをはじめた。結婚をせず、独身のまま戻って来た。当時はまだ30代だったはずだ。

ぼくの地元はど田舎で、周りに住んでいるひとたちもまさに”田舎の人間”だった。
そのなかで、その叔母だけが文化的な都会のマナーを纏っていたように思う。映画によく連れて行ってくれたし、CDや小説を貸してくれたりもした。ぼけーっと生きていたぼくも、彼女が他と違うのだということに気付いていた。常に余裕があって、おしゃれで、頭が良い。でも子どもってたぶんそういう大人があんまり好きじゃないと思う。正直ぼくもそんなに好きではなかった。彼女の前では常に緊張していた。子どもの甘えが通じないようなひとなのだ。
しかしぼくが大人になると、立場が対等になり、苦手意識もなくなった。一方的でなく、ぼくの方からも貸したりプレゼントしたりするようにもなった。


昨年、PIZZICATO ONEの「わたくしの二十世紀」というアルバムを気にいり、叔母にも聴かせようかな、と考えたことがあった。昔オリジナルラブフリッパーズギターのファンだったと聞いた。もしかしたら叔母も気にいるかもしれない。

しかし何度も繰り返し聴いているうちに、このアルバムに潜む”死”という言葉を耳が拾うようになった。潜む、というか。全然潜んでも隠れてもない。なんせこのアルバムの2曲目のタイトルは「私が死んでも」なのだ。


私が死んでも


曲を聴きながら思い浮かぶイメージはがらんとた部屋で無表情でたたずむひと。女でも男でも良いが、ぼくは女を思い浮かべることが多い。身体に刻まれた老い、忍び寄る死の気配と、幸せの抜け殻と、悲しみの余韻がイヤホンを通してこちらにまで伝わってくるようだ。

このアルバムを聴いて”死にたくなる”ようなことはない。
でもいつも、すこしだけ悲しい気持ちになる。

叔母に聴かせたら、彼女はどんな反応をするだろう。
ぼくがかえったあと、ひとりきりの家で、このCDを聴く。
自らの老いと、死の気配と、過去のあれこれに身を削られるのだろうか。一昨年死んだ祖母のことを思い出すのか、10数年前に死んだ祖父のことも。それとも単に優れた音楽として楽しむのか、ただの音として流すのか。


ぼくは結局渡すことができないでいる。
40歳を超える彼女が感じるかもしれない寂しさを、25歳のぼくは想像しきれなかったからだ。でもゲイのぼくは、ひとり身の彼女に自分の寂しさを重ねてしまう。将来のぼくの姿もちょっとだけ。

そういうことを考えていたせいでこのアルバムを聴くと、必ず叔母のことを思い出すようになった。同時に10数年後の自分のことを。
その姿はいつもすこし寂しく、だから、いつも悲しい気分になる。

 

わたくしの二十世紀

わたくしの二十世紀

 

 
昨日(2/24)この文章を書いて、「明日ちょっと見直すかな」なんて思って下書き保存していたら、なんと今日、このアルバムのアナログ盤がでるなんていうニュースが耳にはいってきた。なんたる偶然!うれしい!
悲しくなるけれど最高なアルバムだと思う!!

SOUND AVENUE905、木曜日は小西康陽さん担当ということで木曜日に更新してみました。今週の特集はロックンロール!

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